修行において妨げとなる人間の煩悩が「百八煩悩」といって
百八にまとめた教えがあります。
百八という数に固有の意味があるのではなく、百の数が多数を意味するのと同様に
煩悩は無尽であるため、多くの数を意味する。
一年を締めくくり、新年を迎えるにあたり、人間の迷いの眠りをさまし、身も心も洗い清める。
除夜の鐘には〝捨て鐘〟といって、百八以外につく鐘のことですが、煩悩には限りがないため
いくらついても大丈夫です。
中国では、寺で朝夕に百八の鐘をついたのは、晨朝の眠りをさまし、夕には一日の迷いを反省する意味があったようです。
そして日本にも伝わり、時報の代わりにも使われていたそうです。
私も修業時代は、決められた時間に毎日鐘をついておりました。
大晦日に響きわたる鐘の音は、どこか切なくもあり、ですが新年の幕開けの喜びもあり
この先何百年、何千年と受け継がれていくカルチャーだと思います。